建造物

国指定重要文化財

旧大國家住宅 附土塀宅地(2,859平米)

大國家は江戸時代後期、運送業と酒造業などを営んでいました。
主屋(宝暦10年/1760年)は、約18m四方のほぼ正方形の平面構造をしており、2つの入母屋造の茅葺屋根の中央部分を切妻造の瓦葺屋根で連結する「比翼入母屋造」である。これは全国的にみても珍しく、吉備津神社本殿(岡山市)、法華経寺祖師堂(千葉県さくら市)など数例が見られるのみで、民家建築としては唯一ではないかと言われている。
(平成16年7月6日国指定文化財)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町尺所
所有者 和気町

登録有形文化財

「登録有形文化財」とは

保存及び活用についての措置が特に必要とされる文化財建造物を、指定文化財制度よりもゆるやかな規制のもと保存していこうという「文化財登録制度」が平成 8年10月1日から導入されました。築50年を経た歴史的建造物で、一定の評価基準に達していれば、「登録有形文化財」として認められます。登録有形文化財は、外観を変えなければある程度自由に活用し、利用することができる点で"ゆるやか"であるといえます。
和気町では、現在3件の建造物が登録有形文化財となっています。

和気町ふる里会館(旧和気郡山田村役場庁舎)

和気町ふる里会館(旧和気郡山田村役場庁舎)

和気町岩戸の天神山のふもと、吉井川が大きく東に湾曲したところに建つ、昭和7(1932)に完成した鉄筋コンクリート造の初期の建物である。正面石段と、目地を凹ませて表面を突出させかつ粗く仕上げた石を積んだ「ルステイク積」という工法が用いられた一階窓下の外壁の材料と施工が優れている(同じく登録有形文化財・永井家住宅と同様の石積み工法)。また、階段室の設計と施工は慎重かつ丁寧と評価され、地方の近代建築として貴重である。
 昭和8(1933)年から昭和30(1955)年に合併するまで、山田村役場として使用し、役場が矢田(和気町矢田)へ移転した後は佐伯町農協本所となった。その後、農協の合併により農協山田支所として和気農協が管理した。昭和57(1982)年に天神山城跡が県指定史跡となり、それを記念して昭和 60(1985)年に町が農協から譲り受けて「ふる里会館」を発足した。会館内は、天神山城跡の出土品や町内から寄贈された民具、片上鉄道(大正 12[1923]年、柵原鉱山の鉱石を運ぶために敷かれた)関係資料など約500点が展示されている。
(平成9年5月23日登録有形文化財)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町岩戸
所有者 和気町

万代家住宅主屋

和気から岡山市方面に向かう県道96号線沿いの、元恩寺を取り巻くようにひろがる集落のなかの一軒である。明治5(1872)年の建築で、木造、母屋は桁行9.5間、梁間5.5間、入母屋造の屋根を持つ。小屋組みに、現在では鋸で製材した木材がほとんであるため珍しくなった釿(ちょうな/木材を荒削りしたり平らにする斧)削りの丸太を複雑に組み合わせており、大工技術の高さを示す。
(平成11年7月8日登録有形文化財)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町原
所有者 個人

永井家住宅主屋

和気町和気の権現山のふもとに建つ、木造の歯科診療所兼住宅である。大正5(1916)年、赤坂町出身の25才くらいの棟梁によって新築されたという。当時東備地域には洋風建築は珍しく、また歯科診療所としてもいわゆる旭東4郡(和気、邑久、上道、赤磐郡)でも2番目の開院と、いろいろな意味で時代の先端をいく建物であった。
当時の和気は、藩閥内閣が倒れて政党が内閣をつくり政治を行うべきと主張する「護憲運動」が波及してきていた時代であった。
江戸切り仕上げ(目地を掘り込む加工法)の石を積んだ基礎、外壁の下見板張り、木製の上げ下げ窓、塔屋をもつ瓦葺屋根など、建物の随所にその当時の進取の気風が表現されており、近代社会の充実に意欲を燃やしていた20世紀初頭の様子を物語っている。石の基礎が、つまりは同じく登録有形文化財・佐伯ふる里会館の石壁に用いられている「ルステイク積」と同様であることも興味深い。
(平成12年4月28日登録有形文化財)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町和気
所有者 個人

県指定重要文化財

密巌寺石造五重層塔

この層塔は大王山密厳寺跡(和気町米沢)にあったものを天明4(1784)年に本久寺住僧・日勧が現在地へ移したものである。密厳寺は、本久寺の前身と言われる真言宗の寺院で、天正11(1583)年に浮田土佐守こと宇喜多忠家が密厳寺の諸堂宇の一部を遷して「太王山本久寺」を開いたとされる。
別石で造られた塔身、笠ともに花崗岩製で、高さは2.8m、側面に「元享四(1324)年甲子二月二十二日」の銘が刻まれている。
(昭和33年4月10日県指定文化財)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町佐伯
所有者 本久寺

密巌寺石造九重層塔

この層塔は大王山密厳寺跡(和気町米沢)にあったものを大正2(1913)年に現在地へ移したものである。
塔身、笠はともに花崗岩製で一つの材を加工して造られており、高さは6.75m、側面に「元享二(1322)年壬戌八月六日」の銘が刻まれている。上部の相輪が失われており、宝篋印塔を載せている。
(昭和33年4月10日県指定文化財)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町佐伯
所有者 本久寺

長楽寺石造五輪塔

杉沢山長楽寺跡(和気町田土)の門前にあたる丘に建つ、南北朝時代のものである。
花崗岩製で、高さは1.55m、塔身に「融通経象 敬白 貞治五(1366)年丙午二月□日」との銘があり、四方に梵字が薬研彫で刻まれている。
(昭和34年3月27日県指定文化財)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町田土
所有者 長楽寺

本久寺本堂

本久寺本堂

熱心な日蓮宗徒であったと伝えられる浮田土佐守が、天正9(1581)年に起工し、同11(1583)年に完成した。棟札より慶安4(1648)年に大修理が行われたことがわかっているが、創建当時の豪壮な桃山建築の特色をのこす。
平成19(2007)年現在、大規模な解体修理を行っている。
(昭和34年1月13日県指定文化財)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町佐伯
所有者 本久寺

町指定重要文化財

善照寺石造九重層塔

善照寺石造九重層塔

岡山蓮昌寺の末寺であった善照寺の住僧が還俗した後に、善照寺境内から現在地の矢田八幡神社境内に移したものである。花崗岩製で塔身は2.04m、室町時代の作と考えられる。上2層の一部が欠損するほかは現存する。
(昭和48年3月1日町指定)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町矢田
所有者 矢田八幡宮

宝篋印塔

花崗岩製で高さ86.5cm、塔身の四方に梵字を薬研彫りで刻んでいる。小型ながら細密で装飾性に富んだ造りとなっており、室町時代の作と考えられる。
また、付近に基壇一辺1m前後の方形の石積2基、基壇2×3mの石積1基があり、「大方古墓」として遺跡になっている。
(平成元年5月26日町指定)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町奥塩田
所有者 個人

法泉寺本堂

明治9(1876)年、日蓮宗不受不施派は公認を受けた直後、僧を牧師、寺を教会と名乗るなどキリスト教の影響を受けた。法泉寺本堂は、この時期にあたる明治11(1878)年に「第10番教会所」として建てられた。木造で、日本建築の技術や材を使いながらポーチ風の拝殿、白漆喰で固めた柱、蛇腹ドーム型の窓など随所に洋風の造作が見られる擬似洋風建築となっている。
※法泉寺本堂の見学には紹介者が必要です。
(昭和51年4月1日町指定文化財)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町益原
所有者 法泉寺

本成寺本堂

本成寺は慶長6(1601)年に開かれた顕本法華宗の寺院で、本堂の建立も同年である。寛永11(1634)年に修理したことがわかっている。方3間、単層で入母屋造、本瓦葺で両側及び背面に1間の庇をもつ。天井絵をはじめ極彩色で彩られた内装と、華やかな彫刻をもち豪壮な桃山建築の特徴が随所に見られる。
(昭和51年4月1日町指定文化財)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町和気
所有者 本成寺

和気神社本殿

和気神社本殿

和気氏の先祖の鐸石別命や和気清麻呂、応神天皇を祀る。創立年代は明らかではないが、社伝によると、以前は政庁跡(和気町藤野田ヶ原)に隣接する日笠川東岸に位置していたものを、天正19(1591)年に現在地に遷したという。
木造で、一間社流れ造で、明治18(1885)年に田淵勝義(邑久郡宿毛[現・岡山市]の大工)によるものである。千鳥破風、軒唐破風、破風板の曲線が優美で、向拝の手挾や蟇股に施された飾彫刻が江戸時代後期の装飾主義の影響を示している。
田淵はもと讃岐の人で、大隈流の手法による寺社建築は85棟にのぼるといい、江戸時代末、明治時代の建築の様相を示す好資料といえる。
(平成10年9月10日町指定文化財)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町藤野
所有者 和気神社

法泉寺題目石

備前(岡山)地方にはじめて日蓮宗(法華宗)を伝えた大覚大僧正が、依頼を受けて書いたものと伝えられている題目石である。花崗岩製、高さ約1m。
塔身の三方に、「南無妙法蓮華経」の文字をいわゆる髭題目の書体で、背面に「右志者為養父妙念第三年追善並一切衆生平等利益 康永元(1342)年九月廿日 養子敬白」と刻まれている。県南には、大覚大僧正の書と言われる題目石が、ほかに大覚寺(総社市清音軽部)と大光院(岡山市円山)の二つあり、日蓮宗が民衆に広まる過程を表す石造物となっている。
大覚大僧正(1297~1364)は、もと真言宗の僧であったが、日蓮宗を開いた日蓮の弟子・日像に説法を受け、日蓮宗の僧となった人で、公家の名家として知られる近衛家に縁故のある出自だと言われている。
※法泉寺題目石の見学には紹介者が必要です。
(平成11年8月10日町指定文化財)

文化財・史跡概要 分類 建造物
所在地 和気町益原
所有者 法泉寺